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1月10日
2004年1月11日今日のは長いよw
流産した時のことだから、読みたくない人は飛ばしてね^^
流産の引き金になったのは、会社で
重い本棚を床からそのまま持ち上げたからだと思ってる。
同期入社の同僚だけは、ワタシが妊娠していたことを知っていた。
その数時間後、会議のため五反田の会社から、北区にある施設へ移動。
会議開始前、トイレにて少量の出血を確認。
上司に体調不良を訴え、
そのままタクシーで東中野にあるかかりつけの産婦人科病院(個人)へ。
医師も子宮からの出血を確認。
止血剤を処方され、自宅にて絶対安静を言い渡される。
トイレ以外は歩くことも許されず、薬を服用してベッドへ。
次第に、下腹部に痛みを感じるようになる。
トイレへ行くと、出血量が増えている。
彼に電話にて報告。
仕事が終わってすぐ駆けつけてくれた。
会社の上司もお見舞いに来てくれた。(事情は知らない)
下腹部の痛みは、鈍痛へ。
トイレへ行くと、ダラダラと真っ赤な出血が続く。
医師に電話。
看護婦が風邪で休んでいるため入院させることが出来ないとのこと。
再度、絶対安静を言い渡される。
彼が部屋に居る。
夕食に「鍋焼きうどん」を出前で注文。
ひとくち食した後、下腹部に激痛が走りベッドに横になる。
トイレへ。
前よりもヒドイ出血と共に、胎児が流出。
パニックになりながらも、便器に手をつっこみすくい出す。
ここが頭かな?ここが肩かな?ここが足になっていくのかな?
なんとなくの形がわかった。
薄い肌色で、大人の指の第一関節くらいの大きさ。
しばらく見ていた。
パニックが過ぎ、次にやるべきことを考える。
彼は放心状態で、立っていた。
出てきた物を小皿に入れて、ホイルをかぶせた。
ティッシュで包むことなんて出来なかった。
かかりつけの病院へ電話。
近くにある社会保険病院を紹介される。
医師が救急連絡を入れるから、そのまま病棟へ行くように指示される。
上司に緊急入院の連絡をする。
入院理由は「子宮筋腫」の悪化ということに。
実際そんな事があるのかどうかは知らないが、
それしか思い付かなかった。
ショックで下腹部の痛みは、あまり感じない。
小皿、保険証、未記入の母子手帳を持って、早稲田通りまで出る。
彼とタクシーに乗って、病院へ。
外来ではなく、病棟の診察室へ。
彼は帰宅させられる。
持参したものを看護婦に渡す。
小皿の中を見ようとした看護婦に対して、医師が「ここで見るな」と一喝。
ワタシへの配慮なのか、別のことなのかは分からない。
医師の診察。
出てきた物は胎児だった。
子宮口が少し開いていたので、子宮に残っている物を取り出す処置をされる。
麻酔無しでの処置。
大きな耳カキのような物で、子宮内からカキ出す。
ツーーーッ、ツーーーッと、子宮の内側を引っかく感覚が分かる。
そして、絶叫するほどの痛さ。
しかもそこは、産婦人科病棟の診察室。
手術室のようにワタシを固定するものなど無い。
よほどワタシが暴れたのか、次日に手術と言い渡される。
膣に大量のガーゼを入れられる。
看護婦に病室を案内される。
産婦人科病棟でも、内科病棟に一番近い病室。
産科の患者はワタシだけ。
他の妊婦さんと同室にしないのは、ワタシへの配慮だ。
膣内のガーゼに違和感を感じ、夜中トイレで勝手に抜き捨てる。
フロアーの遠くで、新生児の泣き声が聞こえる。
いたたまれなくなって、病室へ戻るが、
赤ん坊の声が頭から離れない。
頭の中で、自分も流出させてしまった胎児の様に死ぬべきだと何度も考える。
涙は出ない。
朝、入院の手続きへ行く。
提出書類の中の病状の欄に重症と書かれてあり驚く。
戻って病室に入る直前、絶対に見たくなかった妊婦さんを見かけてしまい、目を伏せる。
病室で何本かの点滴をされる。
彼が仕事の現場へ向かう途中で、顔を出してくれる。
これから埼玉の現場に行くので、帰りが少し遅くなると言う。
何とも思わなかった。
同期の同僚がお見舞いに来てくれる。
点滴中のあわれな姿を見たからか、同情からか、泣かれてしまった。
なぜかワタシが、笑いながら彼女を慰めていた。
麻酔科の医師が来たので、問診に答える。
異常なし。
手術着に着替える。
ストレッチャーに乗せられ手術室へ。
動く天井が気持ち悪く、目をつぶる。
手術室というドアを入ってから、更に2回ぐらいドアを通過。
だんだん研ぎ澄まされた世界になっていく。
完全なる手術室には、廊下から自動で動くマットで入室。
セルフサービスの店での、食器返却口みたいな感じだった。
ライトの下へ運ばれる。
担当は昨夜の医師に見えたが、よくわからない。
「あれ?ガーゼは?」と聞かれ、「取っちゃった」と答える。
手術する部分が見える方向に、研修医みたいな人間がズラリと並ぶ。
嫌な感じ。
医師がリラックスさせてくれようとしていたのか、軽いジョークを言う。
ワタシが笑ったのを見て、「麻酔するよ」と優しく言ってくれた。
「あっという間に寝ちゃうから」と言われて、「ほんとかなぁ?」と答えようとしたけど、「ほんとか」まで言ったところで、意識が飛んだ。
すごく気持ちイイ瞬間だった。
名前を呼ばれた。
何度か呼ばれていたのには気付いて、返事をしていたつもりだった。
目を開けると、ストレッチャーの上だった。
「私ワカル?」と聞かれたので、「夜の看護婦さん」と答えた。
昨夜、担当してくれた看護婦だった。
術後退院の病院がほとんどらしいが、ワタシはもう1晩入院させられた。
退院の日、婦長に呼ばれた。
フロアーのベンチに並んで座ってくれた。
「この度は残念でしたね・・・」
言われた瞬間、今まで我慢していた気持ちをこらえることが出来なくなった。
その場で涙が止まらなかった。
退院後、1〜2週間の安静。
仕事に復帰。
ワタシの妊娠が分かる少し前に、堕胎手術をした同僚から、
「この週の流産は、100%母親の責任じゃないんだって。だから、ゆきちゃんは自分を責めちゃダメだよ。」と言ってくれた。
ワタシを慰めようと、色々と調べてくれてたみたい。
でも、やっぱりワタシのせいだと思う。
水子地蔵へは行っていない。
常に自分のそばに居て欲しいと思ったから。
最初の年は毎月10日、翌年から1月10日に必ず亡くなった子供を想って、ケーキを食べる。
今年で12回目だった。
鍋焼きうどんは、あれから1度も口にしていない。
食べることが出来ない。
流産した時のことだから、読みたくない人は飛ばしてね^^
流産の引き金になったのは、会社で
重い本棚を床からそのまま持ち上げたからだと思ってる。
同期入社の同僚だけは、ワタシが妊娠していたことを知っていた。
その数時間後、会議のため五反田の会社から、北区にある施設へ移動。
会議開始前、トイレにて少量の出血を確認。
上司に体調不良を訴え、
そのままタクシーで東中野にあるかかりつけの産婦人科病院(個人)へ。
医師も子宮からの出血を確認。
止血剤を処方され、自宅にて絶対安静を言い渡される。
トイレ以外は歩くことも許されず、薬を服用してベッドへ。
次第に、下腹部に痛みを感じるようになる。
トイレへ行くと、出血量が増えている。
彼に電話にて報告。
仕事が終わってすぐ駆けつけてくれた。
会社の上司もお見舞いに来てくれた。(事情は知らない)
下腹部の痛みは、鈍痛へ。
トイレへ行くと、ダラダラと真っ赤な出血が続く。
医師に電話。
看護婦が風邪で休んでいるため入院させることが出来ないとのこと。
再度、絶対安静を言い渡される。
彼が部屋に居る。
夕食に「鍋焼きうどん」を出前で注文。
ひとくち食した後、下腹部に激痛が走りベッドに横になる。
トイレへ。
前よりもヒドイ出血と共に、胎児が流出。
パニックになりながらも、便器に手をつっこみすくい出す。
ここが頭かな?ここが肩かな?ここが足になっていくのかな?
なんとなくの形がわかった。
薄い肌色で、大人の指の第一関節くらいの大きさ。
しばらく見ていた。
パニックが過ぎ、次にやるべきことを考える。
彼は放心状態で、立っていた。
出てきた物を小皿に入れて、ホイルをかぶせた。
ティッシュで包むことなんて出来なかった。
かかりつけの病院へ電話。
近くにある社会保険病院を紹介される。
医師が救急連絡を入れるから、そのまま病棟へ行くように指示される。
上司に緊急入院の連絡をする。
入院理由は「子宮筋腫」の悪化ということに。
実際そんな事があるのかどうかは知らないが、
それしか思い付かなかった。
ショックで下腹部の痛みは、あまり感じない。
小皿、保険証、未記入の母子手帳を持って、早稲田通りまで出る。
彼とタクシーに乗って、病院へ。
外来ではなく、病棟の診察室へ。
彼は帰宅させられる。
持参したものを看護婦に渡す。
小皿の中を見ようとした看護婦に対して、医師が「ここで見るな」と一喝。
ワタシへの配慮なのか、別のことなのかは分からない。
医師の診察。
出てきた物は胎児だった。
子宮口が少し開いていたので、子宮に残っている物を取り出す処置をされる。
麻酔無しでの処置。
大きな耳カキのような物で、子宮内からカキ出す。
ツーーーッ、ツーーーッと、子宮の内側を引っかく感覚が分かる。
そして、絶叫するほどの痛さ。
しかもそこは、産婦人科病棟の診察室。
手術室のようにワタシを固定するものなど無い。
よほどワタシが暴れたのか、次日に手術と言い渡される。
膣に大量のガーゼを入れられる。
看護婦に病室を案内される。
産婦人科病棟でも、内科病棟に一番近い病室。
産科の患者はワタシだけ。
他の妊婦さんと同室にしないのは、ワタシへの配慮だ。
膣内のガーゼに違和感を感じ、夜中トイレで勝手に抜き捨てる。
フロアーの遠くで、新生児の泣き声が聞こえる。
いたたまれなくなって、病室へ戻るが、
赤ん坊の声が頭から離れない。
頭の中で、自分も流出させてしまった胎児の様に死ぬべきだと何度も考える。
涙は出ない。
朝、入院の手続きへ行く。
提出書類の中の病状の欄に重症と書かれてあり驚く。
戻って病室に入る直前、絶対に見たくなかった妊婦さんを見かけてしまい、目を伏せる。
病室で何本かの点滴をされる。
彼が仕事の現場へ向かう途中で、顔を出してくれる。
これから埼玉の現場に行くので、帰りが少し遅くなると言う。
何とも思わなかった。
同期の同僚がお見舞いに来てくれる。
点滴中のあわれな姿を見たからか、同情からか、泣かれてしまった。
なぜかワタシが、笑いながら彼女を慰めていた。
麻酔科の医師が来たので、問診に答える。
異常なし。
手術着に着替える。
ストレッチャーに乗せられ手術室へ。
動く天井が気持ち悪く、目をつぶる。
手術室というドアを入ってから、更に2回ぐらいドアを通過。
だんだん研ぎ澄まされた世界になっていく。
完全なる手術室には、廊下から自動で動くマットで入室。
セルフサービスの店での、食器返却口みたいな感じだった。
ライトの下へ運ばれる。
担当は昨夜の医師に見えたが、よくわからない。
「あれ?ガーゼは?」と聞かれ、「取っちゃった」と答える。
手術する部分が見える方向に、研修医みたいな人間がズラリと並ぶ。
嫌な感じ。
医師がリラックスさせてくれようとしていたのか、軽いジョークを言う。
ワタシが笑ったのを見て、「麻酔するよ」と優しく言ってくれた。
「あっという間に寝ちゃうから」と言われて、「ほんとかなぁ?」と答えようとしたけど、「ほんとか」まで言ったところで、意識が飛んだ。
すごく気持ちイイ瞬間だった。
名前を呼ばれた。
何度か呼ばれていたのには気付いて、返事をしていたつもりだった。
目を開けると、ストレッチャーの上だった。
「私ワカル?」と聞かれたので、「夜の看護婦さん」と答えた。
昨夜、担当してくれた看護婦だった。
術後退院の病院がほとんどらしいが、ワタシはもう1晩入院させられた。
退院の日、婦長に呼ばれた。
フロアーのベンチに並んで座ってくれた。
「この度は残念でしたね・・・」
言われた瞬間、今まで我慢していた気持ちをこらえることが出来なくなった。
その場で涙が止まらなかった。
退院後、1〜2週間の安静。
仕事に復帰。
ワタシの妊娠が分かる少し前に、堕胎手術をした同僚から、
「この週の流産は、100%母親の責任じゃないんだって。だから、ゆきちゃんは自分を責めちゃダメだよ。」と言ってくれた。
ワタシを慰めようと、色々と調べてくれてたみたい。
でも、やっぱりワタシのせいだと思う。
水子地蔵へは行っていない。
常に自分のそばに居て欲しいと思ったから。
最初の年は毎月10日、翌年から1月10日に必ず亡くなった子供を想って、ケーキを食べる。
今年で12回目だった。
鍋焼きうどんは、あれから1度も口にしていない。
食べることが出来ない。
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